「レッスン4 セルフモニタリングを習慣にしましょう」を終えて
レッスン4では、認知行動療法のスキルの一つであるセルフモニタリングを学びました。ストレスを感じた過去のエピソードについて、ストレッサーは何か、ストレッサーに対する反応としての認知(自動思考)、気分・感情、身体反応、行動はそれぞれどんなものか、を書き出していくというワークを行いました。
正直な感想は、「面倒で、しんどかった!」というものです。まとまった時間が取れなかったこともあり、8つあるワークを何度かに分けて行ったのですが、取り組んでいる間はずっと眉間にシワがよっているような状態でした。ただ、このしんどさの理由は、今までの誤った(=自分をより苦しめてしまう)対処法を、違うものへと変えていくしんどさ、慣れ親しんだ投球フォームの癖を正しいものへと矯正することに伴うしんどさみたいなものなのかな、とも感じています。
私は普段の生活の中で嫌なできごとがあると、しばらくその場面を頭の中で自動的に反芻してしまい、心が重苦しい憂うつ感に支配されてしまいます。頑張って作った料理がまずかった、という状況に例えるなら、まずい味を何度も思い出すのをやめられずにげんなりして、「どうせ私は料理に向いていない」と感じ、もう料理自体をしたくなくなってしまう、ということを繰り返しているイメージです。
対して、今回のセルフモニタリングのワークは、嫌な出来事の場面をコマ送りにしたうえでさまざまな側面から細かく分析することで、もやもやや重苦しい気分が「何から構成されていたのか」を明らかにする作業です。先ほどのまずい料理の例えでいうと、まずさに浸るのではなく、料理の材料や作った手順がどんなものだったかを、改めて自分に提示し直してみる作業だといえます。ワークをこなすなかでとくに意識することになったのは、これまでひとまとまりとして認識していた「嫌なできごと」に、時間の経過による状況の変化と、それに伴う心境の変化が含まれているということでした。また、ある瞬間だけをとった場合でも、自分のなかにさまざまな感情が併存していることがわかりました。
ここまで考えてふと思ったのは、私がセルフモニタリングを試みるなかで覚えた違和感やしんどさが、嫌な気分に「浸る」ことを許さないその方法的特徴に由来するのものではないか、ということです。嫌な場面を思い出して嫌な気分に浸ることは、決して心地よいことではないのですが、その「浸る」という行為に私にとっての何らかのメリットがあって、それに依存してきた、というぼんやりした実感が今、生じています。この感覚をフックにして、以降のワークもぼちぼち進めていきたいと思います。
余談ですが、このレッスンには、「自動思考」と「スキーマ」の概念とその差異を理解するためのワークとして「納豆のイメージワーク」というのがあります。「他にご飯のおかずがない状況で、食べようとした納豆の賞味期限は10日前。この納豆、食べる?」というものなのですが、本にも示されているとおり、多様な答えがありそうで興味深いです。ちなみに私の答えは、「お腹をこわすことはないし、味も問題ないのはわかっているけれど、なんだかけちがついたような気がしてまずく感じそう、そしてその嫌な感じを引きずりそうなので、念のため食べないでおく」です。我ながらめんどくさいです。
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